2015年1月14日水曜日

戦記5巻p333〜 信仰

DRAGONS OF SPRING DAWNING p184

“Speaking of impetuous half-elves,” Tanis interrupted in elven as he strode rapidly down the stairs. Riverwind, Goldmoon, and Berem followed, though they had no idea what was being said.

戦記5巻p333

「性急なハーフ・エルフで悪かったですね」タニスはエルフ語で遮りながら、大股に階段を駆け降りた。リヴァーウィンド、ゴールドムーン、ベレムが、会話の内容がわからないままに、後につづく。

Zebulah stopped in one of the sea-dark streets and peered at Goldmoon intently.

 ゼビュラは海のほの暗さをもつ街角で立ちどまり、じっとゴールドムーンを見つめた。

“The guilty were punished. But why the innocent? Why did they have to suffer? You wear the medallion of Mishakal the Healer. Do you understand? Did the goddess explain it to you?”

「罪ある者は罰をうけた。だが、なぜ罪なき者まで?なぜかれらまで苦しみを受けねばならなかったのだ?あなたは癒し手ミシャカルのメダリオンをつけている。あなたにはわかるか?女神はあなたに説明してくれたか?」

“Often I myself have questioned,”
“In a dream, once, I was punished for my questioning, for my lack of faith. Punished by losing the one I love.”

「わたくし自身、しばしばその疑問を問うてきました」
「そして、神々を疑ったことで、信仰が欠けていたことで、わたくしは一度、夢の中で罰を受けました。愛する者を失うという罰を受けたのです」

“But whenever I feel ashamed of my questioning, I am reminded that it was my questioning that led me to find the ancient gods.”

「けれども、その疑いや問いを恥じたくなるとき、わたくしはいつでも、そのみずからの至らなさこそが、わたくしをいにしえの神々の発見へと導いてくれたことを思い返すのです」

“No,”
“I do not have the answer to this great riddle. I still question. I still burn with anger when I see the innocent suffer and the guilty rewarded.”

「いいえ」
「この大いなる謎に対する答えは、わたくしにはありません。わたくしは今なお問うているのです。わたくしは今なお、罪なき者が苦しみ、罪ある者が栄えているのを見るとき、怒りに燃えます」

“But I know now that my anger can be as a forging fire. In its heat, the raw lump of iron that is my spirit is tempered and shaped to form the shining rod of steel that is my faith. That rod supports my weak flesh.”

「でも、今ではわたくしは、その怒りが鍛冶錬成の火にもなるのを知っています。その高温の火の中で、魂という未精錬の鉄塊が鍛えられ、形造られて、信仰という光り輝く鋼鉄の棒となるのです。その戒めの棒が、わたくしの弱き肉体の支えとなってくれます」

***

 疑うことも、問うことも、罪や罰されるべきことではないはずです。戦記1巻、ザク・ツァロスで、ミシャカルがこのように語っていましたね。

「愛しい僕よ、そなたの抱いた疑いを恥じることはありません。その疑問がそなたをわたくしたちのもとへ導き、その怒りがこれから待ち受けている多くの試練にそなたを耐えさせるのです」

 疑いを、問いを発することが出発点。それは科学も、ドラゴンランスで語られている宗教も同じなようです。そして彼女は、おそらくは作者ワイス&ヒックマンは、こうも言っているのでしょうか。答えはないと。神々は人々を救ってはくれないと。神々が与えるのはただ真理のみで、人はそれを手がかりにみずからを救済するしかないのだと。
 それならそれで別に構いません。もしこの世に「正しい」宗教というものがあって、その点を最初に強調しておいてくれさえすれば。ならば私はえせ宗教というものだけを憎んでいれば済みます。僧侶に多額のお布施をし、教義に反する書物を焼き、異教徒を殺せば救済されると騙る詐欺師達だけを。

0 件のコメント:

コメントを投稿