2015年12月5日土曜日

「ドラゴンランス 冒険者たちの深夜の集い 〜邂逅〜」参加作品です。








 火のように明るい泣き声が、いつの間にか陥っていた微睡を切り裂いた。すでに窓の外は真っ暗だ。
「産まれたの?!」
 一瞬で目を覚まし、立ち上がり産室に駆け込もうとした幼い体を、義父が押しとどめた。
「まだだよ、キット。産婆さんが言っていたろう?双子なんだよ。もう一人が無事に産まれるまで、辛抱しなさい」
「…はい」
 義父の手を払うと、落ち着かない体を無理やり椅子に落ち着ける。産声の向こうから、まだ母親のうめき声が聞こえてくる。まだかな、もう一人はまだかな。自分はどれくらい眠っていたんだろう。一人目は男の子?女の子?それくらい教えてくれたっていいじゃないの。どっちだっていいけど。今日から私はお姉ちゃん。二人もの弟か妹がいるお姉ちゃんなんだ。
 だが、二人目の産声はなかなか聞こえてこなかった。義父も不安になってきたようで、産室の扉に視線を投げかける頻度が増している。その度ごとに憂慮の色を増して。もう待っていられないと、キティアラが産室に向かおうとすると、出し抜けに扉が開いた。
「どうぞ、お入り下さい」産婆の顔は青ざめている。
 二人目はどうしたの?思わず立ちすくんだキティアラを押しのけるように、義父が先に部屋に入っていく。キティアラも恐る恐る後に続いた。
 血の匂いが立ち込める薄暗い部屋に目を走らせる。泣きわめく赤ん坊を、義父が泣き笑いのような顔で抱き上げ揺すっている。寝台に横たわるのは母親一人で、ぐったりとして意識がないようだ。もう一人はどこに行ったの?寝台の横に立つ産婆と目があった。その腕の中の、布に包まれたものは、義父が抱えている子よりもさらに小さい。その中から、ぜいぜいと頼りない声が漏れている。
「その子ね?」
 産婆に体を向ける。
「ねえ、わたしにも抱かせて」
 だが産婆は首を振った。
「抱かない方がいいわ。この子のことはお忘れ。あなたの弟なら、お父さんに抱かせてもらいなさい」
 だがキットは詰め寄った。
「どうして?わたしの弟よ、どうして忘れろなんて言うの」
 そうして、産婆から、無理やりおくるみを抱きとった。それは頼りないなりに小さく声を上げたが、すぐにまた元の喘ぐような声に戻った。
「ちいさい……」
 赤黒い、くしゃくしゃな中に、どうにか人間の目鼻が識別できた。自然と笑みがこみ上げる。
「キティアラよ。わたしが、おまえのお姉ちゃん」
 横たわっていた母親が身じろぎする。産婆が胸元を清めると、義父が先に生まれた子をそっとあてがった。すっと泣き止んだかと思うと、夢中で母親の乳に吸い付いている。
「この子も…」
 キティアラが小さな赤ん坊を差し出すと、産婆は表情を曇らせつつ義父に視線を送った。義父の視線は産婆から小さな赤ん坊に移り、再び元気よく乳を吸う赤ん坊に据えられた。
(……?)
 小さな子も、顔を拭われて母親の胸にあてがわれたものの、こちらは吸い付こうとはせず、弱々しい呼吸はさらに苦しげになった。なのに産婆は何もせず目を伏せ、義父も沈鬱な表情だ。
「やっぱり、この子は…」
「どういうこと?」
「この子は自分で乳を吸えない、息もままならない。残念だけど、この子は諦めた方がいいでしょう。ロザマンさんには最初から死産だったと伝えま…」
「嫌よ!」
 キティアラは声を張り上げた。
「わたしの弟よ、なんで忘れなきゃ、諦めなきゃいけないの…」
「キット、その方がその子の為なんだよ」
「そんなこと、あなたが決めることじゃない!」
 キティアラは義父に怒鳴った。おとなしく乳を吸っていた赤子がびくりとし、小さな赤子はひきつけを起こしそうだ。
「決めるのはこの子でしょう?わたしは諦めない、だってお姉ちゃんなんだから。なんとかしてみせる」
 母親のそばに横たえられた頼りない体をそっとずらすと、キティアラは上の子と並んで母親の乳に吸い付いた。
「何を…」
 飲み込まないように注意しながら、そっと半開きの小さな小さな唇に落とす。最初はしくじった。二滴目は口の中に落ちる。三滴目、四滴目…吐き出しむせそうになるのを拭ってやる。もう一度母親の乳へ。
 産婆も義父も息を詰めて見守っていた。上の子はもう乳を飲み終えてすやすやと眠っている。小さな赤子は、何滴目かの乳を飲み込んだ。
「今はそこまでよ、キティアラ」
 産婆が優しく声をかける。
「もういいの?もうこの子は大丈夫?」
 ぜいぜいという音はなくなったものの、相変わらず呼吸は細く弱い。
「このまま寝入ってしまったら、息が続かないかもしれない。でも眠らないと体力が持たない」
 何度か抱き方を変えては、赤子の様子を見守る。やや息遣いが安定する。
「このまま、首をこの角度で保ったまま、次に目が覚めるまでゆっくり眠れれば、あるいは生き延びられるかもしれない」
「おお…」
「わたしがやる」
 手を差し伸べようとする義父を睨みつけながら、キティアラは小さな赤子を言われた通りに抱きかかえた。
「わたしが面倒見るの。だって、この子のお姉ちゃんなんだから」
 産婆と義父の説得にもかかわらず、キティアラは赤子を手放さなかった。硬い椅子に腰掛け、赤子の息遣いに目と耳を傾ける。いったん強くなったかと思うとまた細る呼吸を見守る中、疲れ切ったまぶたが落ちてしまっても、教えられた抱き方は崩さなかった。




 暗闇の中、一人ぼっち。
 お母さんは部屋に閉じこもったままだ。
 お父さんはどこに行ったの。お父さん。
(キット)
 顔を上げると、父がいた。義父ではない。顔も忘れかけていた、実の父。どうして忘れたりなどしたのだろう。鏡を見るまでもなく、自分とそっくりなのに。
(いい子だ、キット)
 家を空けがちだったものの、帰ってきた時はお土産を手にし、好きなだけ自分に構ってくれた。剣の稽古も。
(そうだ、キット、おまえは筋がいいな)
 いなくなるのは決まって、母親との喧嘩の後。
(今度帰る時は、本物の剣を買ってやるからな。こんな木剣じゃなくて)
 そう言ったきり、二度と帰ってこなかった。
 また真っ暗。誰もいない。お父さんも。お母さんも。腕の中は空っぽ。握りしめるものも、抱きしめるものも、何もない。何も--?

 だるい腕の中に、何かあった。重い。冷たい。でも手放したくない。まぶたも体も、何もかも重い。でも頑張って目を開く。この重みを失わないために。
「これは…」
 弱々しい、金色のゆらめき。
(それは剣)
 一切の感情を、表情を感じさせない声が、どこからか響いた。
「剣…これがわたしの剣?」
(いかにも、それは剣。未だ形ない、未完成の剣)
 目を凝らして見たそれは、確かにほっそりとした金色の剣のようだった。か細いのに、ひどく重い。抱える両腕がすぐに音をあげそうになる。
(それは剣。どこを目指し、何に対して振るわれることか)
 持ち続けるほどにそれは重みを増していく。腕だけでは支えきれず、膝をついて腿も使って支える。地面は真っ黒で、それでいて不確か。気を抜いたら飲み込まれそうだ。手を離したら沈んでいってしまいそうだ。
(それは神々の剣。そなたの手には重かろう、幼子よ)
 別の声が響く。温かなようで温まらない、どこか悲しげな声。
「重くなんかない」
 どこから聞こえるのかわからないその声に反駁する。
「手放すもんですか。これはやっと手に入れた、わたしの剣なんだから」
 ずっと欲しかった、約束のもの。形の不確かなそれを、ぐっと胸に抱きしめる。
(それは剣。いずれ神々をも滅ぼす剣)
 今度は女の声。恐ろしいのに、ぞっとするほど甘く、暖かい。
(今のうちに手放すが良い。それはいずれ、そなたをも滅ぼす剣)
 声は恐ろしいのに甘く、ぬくもりを感じる。母からは与えられなかったもの。凭れかかり、全てを委ねたくなる優しさ。それが腕に触れる。
「だめ」
 はっと腕の中の剣を抱え直す。
「これはわたしのなの、やっと手に入れたの、絶対離さない!」
(それはいずれ-)
「うるさい!」
 キティアラは顔を上げた。闇の中、姿の見えない三つの声に向かって言い放つ。
「これは約束されたわたしの剣なの。いくら重くても、危なくても、わたしが手入れして共に戦うの」
 すくと立ち上がる。
「これが何かを、わたしをも滅ぼすというならその時は戦うまで。でもそれまではこれはわたしのもの、誰にも口出しなんかさせないし、誰にも取らせない!」
 振りかざした剣がきらりと光る。
(後悔することになろうぞ)
(それが、そなたの選択ならば、仕方あるまい)
(しかと記録した)
 声はもう、聞こえない。
 冷たかった剣が温かみを返す。もう重くない。
 もう大丈夫。
 剣の輝きが瞬くように闇に沈み、夢の中のキティアラの意識を眠りに誘う。




「…アラ。キティアラ!」
「キット!」
 眩い光の中で目を開く。
「よくやったわ。この子は大丈夫よ。見てごらんなさい」
 おそるおそる、こわばった腕の中を見つめる。やわやわとした、産まれたての小さな赤子。おとなしく眠っていた顔が突然くしゃくしゃに歪んだかと思うと、上の子も顔負けの声を張り上げて泣き出す。甲高い声が寝不足の頭に響いて、思わず顔をしかめると、産婆が笑いながら取り上げて、母親の乳にあてがう。元気よく吸い付いている。ほっとして涙が溢れた。
「よくやったわね、キット。偉かったわ」
 母親も目を覚まして、微笑んでくれる。向こう側には大きな赤ん坊。
 わたしの、弟たち。剣などではなく。でも剣よりずっとずっと欲しかった。
「さあ、あなたも食事にして、それからおやすみなさい」
「そしてお母さんが落ち着いたら、ご褒美を買いに行こうな」
 義父が微笑みかける。
「ううん、ご褒美ならもうもらったから。それに、約束したから」
 早く大きくなって、そして一緒にどこへでも行こう。約束された自分の剣、自分の力を取りに。何があったって大丈夫、あなたがたのお姉ちゃんは強いんだからね。
 一足先に乳を飲み終わって瞼を開いた小さな子の青い瞳の奥に、一瞬金色の剣が煌めいたように見えた。
 どこかで見たような…?
 夢の余韻は、朝食とベッドと、約束された未来との間に、光って消えた。


(End)





* * *


言い訳

ドラゴンランスワンドロ・ワンライ企画、楽しみにしてたんですが祖母の葬儀で急遽北海道へ。帰りの空港ラウンジでかさかさと殴り書きでした。
「戦記」と「伝説」の印象だけで書いております。未訳のマジェーレ家のお話などとは食い違うところも多々あると思いますがお見逃しください。いずれ資料を参照してちゃんと書き直したいです。三つの声の言葉遣いなどもそれらしく。